第11代 垂仁天皇8年(約2千年前)正月始めて神山の麓にお祀りされた。今ここを山宮神社と称して摂社となっている。
第56代 清和天皇の貞観7年富士山大噴火の翌年(865年)12月9日、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を現在地にお遷ししてお祀りされている。甲斐国一宮であって延喜の制に於ける明神大社である。明治4年5月14日国幣中社に列格。
平成27年12月鎮座1150年祭斎行。平成30年日本遺産「葡萄畑が織りなす風景」構成文化財に認定。令和4年世界農業遺産「峡東地域の扇状地に適した果樹農業システム」の果樹に関する祭事として認定。
当社は富士山噴火の直接の被害を受けないようにと富士山から離れた場所に建てられ、万が一神さまが正面から被害を受けないように、本殿は富士山に対して90度横(東方面)を向いている。
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は富士山鎮護の神である。
本 殿 入母屋向拝造銅板葺
拝 殿 入母屋唐破風向拝造銅板葺
境 内 3,395坪(1ヘクタール余)
御祭神、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は、大山祇神の御女でまた御名を吾田鹿葦津姫命(あだかあしつひめのみこと)又、桜大刀自命(さくらおおとじのみこと)と申し上げる。天孫瓊々杵命の妃として皇室の始祖大御母と仰ぎ奉る大神である。
大神は、木の花(桜花)の咲き映ゆる如く艶麗優美の御容姿でしかも考順、謙譲の美徳をもって天孫にお仕えして貞節、至純、国土経営に尽くされた内助の功も極めて大きく、今日の日本の基礎を築かれたご功徳は永く日本女性の規範と仰がれている。
古来山火鎮護、農業、酒造の守護神、又婚姻、子授安産の霊徳神として崇敬をあつめている。
淺間神社の読み方は、あさまじんじゃです。
日本の古語あるいはアイヌの言葉に由来するとの説もありますが、言葉としてアサマという言葉があり、それには火を噴くもの、火を恐れるといった意味合いがあると言われ、それに神がつくと、火の神或いは火を制する神といった意味になると言われています。
西暦905年の延喜式神明帳には淺間神社と記され「アサマ」のルビが振られています。
その後、富士山信仰が盛んになる中で、仏教の影響、山伏の影響などがあって社名の読み方の訓と音が入れ替わり、「アサマ」が「センゲン」に呼び変えられたと言われています。
当社は古くからの「アサマ」に因み「アサマジンジャ」と称しています。